Emmaのコラム

専業主婦のエマが日々感じたことを綴っていくコラムのサイト

友人の死から学んだ、健康であることの幸せ。

病気について、今日は考えてみたいと思う。

今の時代、2人に1人の人がガンになる時代。

私の祖父は、70歳の時に腎臓がんの末期で、余命三か月と言われたが、たまたまその時に出た新薬を試し、祖父の体に合ったのか、余命宣告を遥かに超え、医者が驚くほどの生命力で、何度も乗り越え、90歳まで生きることが出来ました。

なので、余命宣告をされても、余命というものは、あってないようなものだし、最後まで分からないものだと思って生きてきました。

4年前に祖母に乳がんが見つかり、幸い、初期だったため、手術をし、命にかかわることがなく、今はホルモン療法をして元気に暮らしています。

私自身も検診で、良性の乳腺症と毎年言われています。祖母が乳がんになってからは他人事とは思えず、いつ自分がガンになってもおかしくないと思うようになりました。

隔世遺伝などもあるので、これからも、検診は、続けていきたいと思います。

私には、悲しい思い出があります。

26歳の時に白血病で、友人を亡くした過去があります。

ドラマでしか見たことのない抗がん剤で、髪の毛が抜けた姿を今でも昨日のことのように思い出します。

彼は、結婚して、子供が産まれたばかりで、白血病になり、1年の闘病の末、26歳の若さで亡くなってしまいました。

葬儀では、今まで、私の知っている彼の姿はなく、変わり果てた姿が棺の中にありました。

彼の子供は、棺に向かい、「パパ」と呼び続ける姿に思わず涙が止まらなくなりました。

その子にとっては、パパはただ、眠っているだけだと思ったのかもしれません。

葬儀の中で、流れた曲を今でも聞くことが出来ません。

生前、彼は、悩みを抱えている私を気にかけ、よく、電話をくれていました。最後の留守電に入っていた声も私を気遣う言葉ばかりでした。

私は結婚している彼に気を遣い、私の方から連絡をせず、また連絡が来るのを待ってしまいました。まさか、その後、連絡が取れなくなるなんて、次に連絡がきたのは、共通の友人からの彼の死を知らせる連絡でした。

私は、入院したことも知らず、最後の電話は、私に病気の事を知らせるために、連絡してきたのかもしれないと思ったら、涙が止まらくなくなりました。

彼は亡くなっていますが、今でも、私を支えてくれています。人間関係に悩んだときや人生に躓いた時には、彼が夢に出てくる時があります。

自分は、生きたくても生きられなかったのだから、頑張れと言われている気がします。健康でいることのありがたみをついつい忘れがちですが、何もないことほど幸せなことはないのだと思います。

一日一日を悔いなく生きよう。