たくさんの知恵を持っているお年寄りは、日本の宝。
今日は、祖父母の事を書こうと思う。
私の祖父母は大正生まれの戦争経験者。
母と父が、戦後に産まれたので、幼い頃から祖父からよく戦争の話を聞いて育った。
馬に乗って戦ったことや怖くて、もう行きたくないと思った話。祖父は孫に話すのを日課にしているようだった。
でも、その話は、痛ましく、聞いているだけで、胸が締め付けられそうになることがあった。
そんな祖父の体は鍛え上げられ、骨格がしっかりしていて、頼もしい祖父でした。親戚からもいつも重宝がられ、生き生きとした生活をしている祖父でした。
私が小学生の頃から、祖母が筋肉の病気で、歩けなくなる病に侵され、祖父が介護をしていた事があります。
祖母は、頭は、はっきりしていたので、会話には不自由はなく、冗談を言っては、家族を笑わせる祖母でした。そんな祖母が大好きで、離れて暮らしていた分、帰省した時は、ずっと離れずにいたのを覚えています。
その時は、祖父を手伝って、祖母の介護などもしていて、お風呂に入れると喜んでもらえるので、進んで、手伝ったのを覚えています。
その時の祖母の様子は、とても気持ちよさそうで、何度やっても自分自身が満たされる思いがしました。
思い返しても、笑っている祖母の顔しか思い浮かばず、どんな状況でも笑顔を絶やさなかった祖母が私の目標です。
私が、祖母と同じ立場だったら、笑って生活出来るんだろうかと考える時があります。手足に力が入らないため、思い通りに体が動かせなかったことも多かったはず。そんな状況でも笑顔を絶やさなかった祖母を尊敬します。
なので、主人と話し合って、結婚記念日を祖母の誕生日にしたぐらい大好きなんです。
そんな祖母を甲斐甲斐しく、面倒を見た祖父も尊敬しています。
そんな血が流れていることが、誇らしく思うことがあります。祖母の優しさと祖父の強さをしっかり受け継ぎたいと思います。
そんな血を受け継いだ父もまた、体が大きく、頼もしく、また優しさを兼ねそろえた人。
そんな恵まれた環境で育った私は、幸せ者だと思う。
夏になるとトウモロコシを作って待っていた祖父。目の前の川で、うなぎや鮎を釣って、食べさせてくれたことが懐かしい。
毎年、たくさんの思い出を作ったことを忘れずに、子供達にも継承していきたいと思っています。
祖父母のいる方はぜひ、いろんなの事を教えてもらってください。昔の人は、たくさんの知恵を持っています。聞かなきゃ損です。
私は、いくつになっても、聞き足りないぐらいです。
そして、おじいちゃん、おばあちゃんが元気に暮らせる世の中になれば良いと思います。